春からの息子の進む道が決まりました\(^o^)/
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本日(2018/3/14)福島県の県立高等学校のⅡ期入学試験の合格発表があり、無事、合格し、春からの息子の進む道が決まりました。本当に自分のこと以上に、ハラハラドキドキするものです。 ちょっと長ったらしくなりますが、自分のことのことと重ねあわせて、子育て中間報告的なことを書いておこうと思います。
子育ては、自分が育てられるという経験をし、親になります。その中で大雑把に、その「育てられ方」に親和性、愛情を持っているのと、逆に反発する、つまり反面教師として受け取るということがあるように思います。
わたしは、公言していますが、自他共に認めるマザコンです。昔からずっと母が大好きで大好きでしかたありません。しかし、大好きであるがゆえに心の中でムカムカイライラすることがたくさんありました。
特に母はコントロール欲求が強く、「こうしなさい」「こうしなければならない」子ども頃からわたしを引っ張っていってくれました。わたしの家族に教員はいませんでしたが、母が若かりし頃、わたしが子どもの頃の、地方に住む安定した成功事例が「学校の先生」でした。昭和の時代は、その時代を引っ張る世代には「正解」があったのです。
しかし、わたしは、自分のもともとの性格なのか、そういう反発精神が勝るときだったのか、母がコントロールしようとする方向性にイチイチ反抗しました。母のことは大好きなのに、「ああしなさい」というコントロール志向にいちいち反発したのです。
だから、教師ではなく新聞記者になりたいと思っていました。
が、それに反抗できない自分がいることもわかっていました。すでに、母のコントロールに馴れきってしまっていたわたしは、「教師」を選ぶ「安易」さを目指したのです。つまり、責任を母に負いかぶせることをしました。何かあると、「だって、自分は○○したかったし、そう言葉に出したにもかかわらず、お母さんがそう言ったからこうした」と。こう言っておけば、何かあったとき、まずいことが起きたとき、一番の原因は母になるのです。
そこから、ずっと、そして、今も自立しないまま50代になってしまいました。
わたしは母が大好きで、マゾコンでありながらも、母を「反面教師」として子育てをしようとしました。
つまり、わたしから「ああしなさい」「こうしなさい」は言わない。情報は提供する。選ぶのは息子。
そのまま、15歳まで息子は成長してきたわけですけど……。
目の前の息子を見て、どうなのかなぁ、それがよかったのかどうか、わからないでいます。
もちろん、この息子の接し方はわたしがそう思って接してきただけで、うちは大家族ですから、わたしの母もそこにいて、息子と接していますし、妻は妻の考えで息子と接してきましたからね。そう意味では多様性の中、息子は取捨選択して生まれてきたわけです。
わたしは、2年前から、上越に来ていますが、いろいろと縁があって、こちらに来られたわけですけど、あの時、息子とわたしは少し距離を取った方が息子のためになるなと思って、これはいい機会だと思ってこちらにきた経緯もあります。コントロールしないと決めたわたしが、心の底では息子をコントロールしたがっていて……。なんだか、自己矛盾が噴出しそうで、そういうところを息子が敏感に感じ取るんじゃないかって。
とりあえず、よりよい方向に向いたようでよかったです。これからも、
息子が求める情報は提供する
わたしがこうした方がいいんじゃないかな、こうしたほうがいいと思うということは「思う」という言葉を使って、伝える
息子が決めたことを尊重し、その後ろに回って最大限応援する
という姿勢で見守っていきたいです。
幸い、息子は(わたしから見て)
明るく
素直で
優しい
子に育っています。もう、これだけでわたしは十分。幸せです。